【前置き】

「ジェレム」あるいは「ジェレム、ジェレム」
というタイトルになるはずだった物語について

   始めに「二匹の小ネコとじゃがいも」の物語がありました
舞台はバルカン半島のボスニア。ユーゴスラビア崩壊の過程で1991年から2000年まで激しい内戦が続いたその最中あるいは内戦終結直後。破壊された町や荒れはてた村を二匹のロマの小ネコが彷徨い歩く。一匹はアコーディオンを弾きながら、もう一匹はそれに合わせて歌を歌いながら。

人の住んでいる家があれば、少しのジャガイモを請い、お礼に歌を歌う。「♪ジェレム、ジェレム♪」

 ♪ジェレム 演奏Djelem

住人はどこかに逃げたのか、誰かに連れ去られたか、どこかで殺されたか?人の居ない家にジャガイモが残っていれば、有り難く少しいただく。住人の遺体が放置されたままの家もある。

最後のシーン、川を挟んで向こう岸を二匹の小ネコが歩いてくる。こちら側を歩いている私。「ヘーィ!ジェレム、ジェレム!」と叫ぶが、二匹の子ネコは気づかない。川の向こう岸とこちら側ですれちがう二匹の小ネコと私。

単純な筋で絵本として考えていました。
しかし、絵本では満足できなかったのでしょう。構想はさらに膨らみます。この話を真ん中に挟んで、その前と後ろに”私”の物語が語られることになります。

「今度は人間を描くんだ。愛の場面もね」と言っていました。
最後は、”私”と死に神との延々と続く長く恐ろしい一騎打ち。「ピストルを何回命中させても死に神は死なないんだ」

あと2、3のエピソードが出来れば完成できると言っていたのに、ノートに遺された文章は草稿というよりはメモ・覚え書きのような断片ばかりでした。
そう、今までの作品ではメモや下書きなどはありませんでした。頭の中でまとめた文はほとんど完成された形で、直接ノートに記されていました。「二匹の小ネコの物語」は作者の頭の中に完成された形であったのでしょう。だから、メモも必要なかった。断片も残されてはいません。
こんなふうに頭の中で完成させてから書くためには相当の集中力と持続力が必要です。「ジェレム」あるいは「ジェレム、ジェレム」というタイトルの物語を頭の中でほとんど完成させる、そんな体力と気力と時間はもう作者にはなかったのでしょう。
メモのような断片をお見せしても、読者の方々をがっかりさせるだけではないかと思い悩みました。しかし、町田純の記憶を少しでも共有していただきたい。どうぞ、皆様の想像力で町田純の物語を完成させてください。

(by Mariko Machida)

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