3日目 1991年12月27日 時々小雨 寒い
ドルマバフチェ宮殿の横からフェリ-に乗って、ボスポラス海峡を北上する。
アジア側のアナドゥル・カバフの山の上の要塞跡に行って、黒海とボスポラス海峡
の眺め見たかったのだが、悪天候で予定変更。
サリイェルで下船して、タクシーで黒海の見える所まで行ってもらう。
丸みを帯びた車体の古いアメリカ車のようなポンコツのタクシーはやっとのことで
坂を上って、この先は軍事施設があって行けないというルメリ・フェネリまでたどり
着いた。
トルコ側から見る黒海は暗く強い風に波立っていた。
ドルマバフチェ宮殿横の熊使いと
ドルマバフチェ宮殿
サリイェルまでタクシーで戻り、バスでルメリ・ヒサールに向かう。
ルメリ・ヒサールはオスマン帝国のメフメト2世がコンスタンチノープル攻略の
拠点とするために4か月ほどで築いた城塞だ。
そして1453年コンスタンチノープル陥落し、イスタンブールと名を変えた。
かなりの高さの城壁に上るのは、高所恐怖症気味の純は苦手だったようだ。
ここからエミルガン公園に行く。
オスマン帝国高官の邸宅を改装したカフェで休憩。
ボスポラス海峡を北上する。
ルメリ・フェネリの港
ルメリ・ヒサールの城壁
城壁の内側
ルメリ・ヒサール入口
エミルガン公園から見えた家
エミルガン公園のカフェ