7日目 1988/01/04
シルケジ港からフェリーでマルマラ海に浮かぶプリンキポ諸島(プリンス・アイランズ)に向かう。
ビザンチン時代、皇帝の地位を脅かしかねない兄弟達をこの島々に幽閉したのが名の由来だ。
今は夏のリゾート、別荘地になっている。
この島々の中で一番大きな島ブユッカダに、かつてトロツキーが住んでいたことがある。
自分の権力が脅かされるのを恐れたスターリンによって国外追放されたトロツキーは、
1929年、オデッサから黒海を渡りイスタンブールに着いた。
(1920年、ヤンがたどったのと同じコースだ。)
そして、1933年、最期の地となるメキシコへと旅立つまでブユッカダの海辺の家に住ん
でいた。ブユッカダのどこか? 何の情報もない。現地に行けば何か分かるかもしれない
と期待したのだが、シーズンオフのリゾート地には案内所も案内板も見あたらない。
トロツキーのいた頃には、島中が松の木で覆われ松の香りに包まれていたそうだが、まだ
松の木はかなり目についた。
旧市街側から、ガラタ塔と汽船の煙
キナカダ島
ブユッカダに向かう途中
ヘイベリアダ島
フェリーの中の靴磨き少年に値段をふっかけられた。
ブユッカダの邸宅
ブユッカダの街 ロバの行列
ブユッカダの松の木と洗濯物
ブユッカダの空き地で ロマの子?
シルケジ港に戻って、ジジムを受け取りに行く。
ボロボロだったジジムが見事に修繕されていた。さすが!
釣り船のトロツキー
レストランでスズキを食べた。
純は大満足。
トロツキーは毎朝ボートを出して、
釣りをするのが日課だったそうだ。
トロツキーも自分で釣ったスズキを
食べたことだろう。
釣った魚を持つトロツキー
修繕されたジジム
ペラパラス・ホテルのレストランで夕食をとる。
ここのメニューには、トルコ料理の他に、キエフ風カツレツとビーフ・ストロガノフの
ロシア料理もある。ロシア革命時の亡命者たちのことを思ってしまう。