イリヤ・カバコフの作品に到達するには、いつも何らかの困難がつきまとう。なぜかいつも、気の進まない場所にある美術館に出かけなければならない。 2004年、「私たちの場所はどこ?」展は、六本木アークヒルズの森美術館。 6月末、台風の接近で、朝から湿った強風が吹いている。恐ろしい殺人自動回転ドアは全て閉鎖されていて、一安心。だが、入り組んだビル群の構成と、複雑なビル内の構造で、「美術館はどこ?」 あちこちにいるガードマンに尋ねる。「あそこから外に出て、右に曲がって‥‥‥」 エスカレーターで上って、手荷物チェックを受けて、エレヴェーターに乗って、やっと目的の階に到着。展望台はこっち、で、「カバコフ展はどこ?」 モノクロームの写真と詩の数行が組み合わされた額が並んでいる。 『モスクワの街路、石の建物、車が数台、人が数人、車道の隅に水たまり』ー 取り立てて面白くもないこの写真の横には、こんな詩の断片 あたりは一面 闇に包まれ 散文的な写真と、その横のロマンチックな詩とのイメージの隔たりに、まず驚く。そして次には、そのイメージの落差そのものが、イメージを大きく膨らませて、今度は、写真と詩とが一つの物語を語り出す。 |
数枚の写真と詩の額を見て、コーナーを曲がると広い展示室に出る。 わっ!巨大な足が天井から突き抜けて立っている。 19世紀風の縞のズボンに革靴の二本足。 チェックのズボンに革靴の二本足。 縁取りの付いたスカートに踝までの靴の二本足。 天井近くには、金色の額縁に収まった古典的な絵の下の部分が少しはみ出して見えている。足だけ見える巨大な人たちは過去の人たちで、天井の上の方で過去の絵画を鑑賞している。 私たちは、その足元で、ソ連時代の写真と19世紀の詩人の詩を組み合わせた現代美術を見ている。 そして、私たちの足の下には、未来の風景が広がっている。所々、床の隅に開けられた穴から覗き見るジオラマは、大きな川の岸辺の草原や畑や家々。 「目を近づければ、未来の人々の足も見えるかも」という言葉を真に受けて、這いつくばって凝視したけれど、これは無理。また、まんまとやられてしまった! 這いつくばって見たり、巨大な足の間で壁の写真を見たり、天井を見上げたりしている私たちも、またもやカバコフのインスタレーションの一部だったのだ。 しかし、そんなシチメンドーな考察はヒョーロン家に任せておいて、私たちは、今、この場所を楽しもう! |
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