確固とした”芸術”的価値を疑うことなく鑑賞している過去の巨人たちの足元、”芸術”の居場所などなさそうな未来のジオラマを足の下に、ソ連時代のモノクロ写真と19世紀の詩人たちのコラボレイションが並んでいる。 写真と詩との微妙なズレ、大きなズレ、たまにピッタリ。思わずニヤリ。 微妙なズレを引きずりながら、窺い知れない物語に思いを馳せる。 大きなズレにかき立てられた想像力が、思いもかけなかった物語を語り出す。 写真の公式的な見方を詩が覆す。その時々一瞬に込められた歴史と感情を増幅し、あるいは否定する。 まるで、それぞれが1つの短編小説か1つの映画(映画のスチール写真もあった)であるかのように。 |
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タルコフスキーの「鏡」のスチール写真に、 「そしてこう、優しく微笑みながら 火のそばに腰をかけ 雪のように白い手で」 という詩。 |
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ゴルバチョフが、ウズベキスタンの民衆に囲まれて対話している写真に、 「遙かかなたの国境で 栄光の 血塗れの斧をもって」 |
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大きな試験管のような形をしたグラスに男が嬉しげにビールを注いでいる写真に、 「教会の丸屋根が金色にかがやくモスクワの手前で」 |
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「おまえはただ掟にのみ従わせるのではない 世界の喧噪も」 |
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ペリカンのサーカスの舞台写真には、 「暖かい春の日 太陽が輝き 小鳥がさえずりながら みんなを野にいざなう 街路や並木道は 人であふれ 三々五々 あいつどい 郊外に出かけてく 人々の顔は晴れやかで 嬉しそう ふさぎこんだまなざしには まず出会わない」 |
130本の良い映画と短編小説を見たり読んだりした後の、充実した疲労感と、何か見過ごしたような、もう一度じっくり観たい気持ちで、会場を後にする。
カバコフの作品では、テキストが重要な役割を担っている。 テキストと絵、テキストと様々な装置、そして時には音楽をも含めて、カバコフがトータル・インスタレーションと呼ぶ作品は、どれも物語るビックリハウスだ。水平感覚の錯覚で人を驚かす遊園地のビックリハウスではなく、カバコフのビックリハウスでは、ありふれた物やゴミやガラクタやソ連時代の遺物やらが、ビックリするような豊かな物語を語り出す。 Text by Mariko Machida 2004.10 |
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