遠近で思い出すのは、カスパール・ダヴィッド・フリードリッヒ (Friedrich,Caspar David 1774〜1840) 一見するとクサイ作品ばかり。まあ、時代だから仕方がない。ナポレオン、ゲーテ、ヘーゲル、シラー、ベートーベン……と、同時代人。たとえば彼が、代表作「海辺の僧侶」を描いていた頃、ヘーゲルは精神現象学を書き上げ、ベートーベンは第四交響曲を発表した(1806年)。 1789年と1848年のブルジョワ革命に、見事にはさまれた激動の時代の画家だった。 ボクは処分品で買ったフリードリッヒのポトスカードBOOKを、時々ペラペラとやる。そんなに好きというわけではないのだが、何か疲れて広い景色を見たいナ、という時などに… |
ただ、他のロマン派の画家と少し違う。
一言でいえば、象徴主義と表現主義の先駆者ということ。
たとえば、以下の絵を見てみると……
たいていの場合、近景は暗い現実であり、遠景は憧れ、救済の世界となっている。
そして、人物が描かれるとき、ほとんどが後ろ姿なのだ。
左の画の部分
さて、ボクが「ヤンとカワカマス」を描いたときは、フリードリッヒの絵をパラパラやってはいなかった。 あのときは、手近にあった計算用紙に、鉛筆で、いたずらがきのように描いていたし、「草原の祝祭」に名前が出てくるチョントヴォーリや、レヴィタンのことを想っていた気がする。
ただ、遠近の話には、どうしてもフリードリッヒは欠かせないと思う。
遠近は、感情も思想も、希望も絶望も、表現できるということを忘れてはならない。前述の「海辺の僧侶」では、遠景も希望ではない。
こうして、早過ぎた表現主義が顔を出す。
ただ皮肉なことに、その顔を僕達は見ることができない。
またも、後ろ姿だから。
海辺の僧侶