存在しないが存在可能な楽器俳優のためのシナリオ」
          
そして
”遭遇したけれど交わらなかった町田純と黒柳徹子”
2019年7月5日、両国にある小さな劇場・シアターX(カイ)で、ポーランドの名優演じる1人芝居
「存在しないが存在可能な楽器俳優のためのシナリオ」を見た。
「字幕無しの公演です」と言われて、台本(ボグスワフ・シャフェル作)を買って急いで読む。
一見、堅苦しい小難しそうな芸術論・芸術家論。
しかし、ほとんど現代の芸術と芸術家に対する愚痴っぽい空疎な内容。

今度は、舞台右奥の大きな梯子に突進してよじ登ったり、梯子と格闘したり。合間に講義は続く。白い布の下の風船を割って、白い布を振り回し、短いホースを手にして吹き、ピンポン球を投げ散らかし、雑巾と水の入ったバケツを振り回し、濡れ雑巾を床に投げつけると、床掃除を始める。
舞台を降りて観客の靴の裏まで拭いて、舞台の左手に上ると張り巡らせてあったピアノ線に顔を引っ掛けて、ピアノ線と奮戦。
ピアノ線から解放されると、上着・チョッキ・ネクタイを脱いで叫びながら講義を続ける。
落ち着いた講義調の声に戻り、囁き声になり、次第に激高して、舞台左奥に立てかけてあった角材を持ってくると釘を打ち付け、細い角材は鋸で切断しようとするが上手くいかない。客席に降りると角材の端を観客に持たせて、どうにか切断。講義は口調を様々に変えて続く。

舞台中央に俳優ヤン・ペシェクが登場。
教授然として、芸術論を述べ始める。
と、右手のテーブルぬ置かれた一個のリンゴを見つけて気になって仕方ない。
ついにリンゴを捕獲すると、手にしたリンゴを振り回しながら講義を続けるが、とうとう講義を中断、リンゴにかぶりつく。
リンゴを口一杯に頬張ったまま、ごにょごにょと講義を再開。
舞台中央の机の椅子に坐って手で顔をこねくり回した後、机にこぼした小麦粉に水を加えて手でこねる。
団子状にして、床に投げたり、水の入ったビンのに中に落としたり。
体の栄養不足と心の栄養不足についての講義が続く。
舞台左奥の台の上の缶を横にすると小さな穴から水が放物線を描いて下のバケツに流れ出す。
水音を聞きながら、友人カロルが立ち小便をしながら語った芸術論の思い出を述べる。
舞台左端に置かれていたチェロを手に腰掛けるがチェロは弾かない。
チェロを弄びながら「正しいキー」について語る。

そして、舞台中央に立って初めと同じような様子で、消費社会における現代の芸術家の運命に関しての講義を締めくくる。
俳優はその身体能力を使って、台本とはほとんど無関係に、まるで身体が楽器であるかのように様々な身体表現を行う。素晴らしい表現力、体力、柔軟性、発声!!
「芸術」と「芸術家」なるものを馬鹿にしつつ、新たな芸術(?)をも示した上等なドタバタ不条理劇。
面白かった。
町田純と最後に見たシアターXでの公演は2010年6月5日、
ロシアの劇団によるチェーホフの「小犬を連れた奥さん」だった。
舞台横から奥にかけて、床にも白く塗られた細長い板が隙間なく縦張りにされて、
大きな台車が2台置かれてあるだけのシンプルな舞台。
白い板張りの空間は、黒海に臨む保養地ヤルタの海辺になったり、ホテルの室内になったりする。台車は走行する汽車の座席になったり、部屋のベッドになったり。
数人の俳優で演じられる舞台は、とてもチェーホフ的だった。
私たちの座席の斜め後ろに黒柳徹子が座っていた。
彼女はチェーホフについて詳しくないらしく、隣の男性がいろいろと説明していた。
公演終了後、町田純は「ファンです。自著をお送りしたい」と黒柳徹子に声を掛けて、
事務所の住所を聞き出した。
初対面の人に自分から声を掛けるなんて、町田純には珍しく積極的な行動だ。

5月の末に虎の門分院を退院して、通院していた頃だ。
7月1日には再入院。9月には日赤病院に転院して、移植手術を受けることになる。
6月1ヵ月間の自宅療養中も病状はかなり悪かったはずだ。
よく劇場に足を運んだものだと思う。生きることを最後まで諦めない強い人だった。
しかし、自分の死も見据えていたからこそ、劇場にも足を運び、ファンという訳ではない黒柳徹子に声も掛けたのだろう。生きているうちに、やれることは何でもやっておこうという思いから。

黒柳徹子の事務所宛に「ヤンとカワカマス」を送ったけれど、当然ながら送り先からの
反応は無し。大勢のファンからの手に余る贈り物の1つとして消えてしまったのだろう。

 そして、"遭遇したけれど交わらなかった町田純と黒柳徹子"
リンゴに接近
食べたリンゴの芯を持って、講義再開
白布と戯れる
ゴムホースを吹く
流れ落ちる水を見ながら
カロルとの会話を語る。
全面が白い板張りの舞台と台車
2019.7.11 by Mariko Machida
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