死の床の記録から 「小ネコちゃんて言ってみナ」より

 十二月のクリスマスの前の寒い日、心配になったボクは、できたての熱いジャガイモの鍋をマフラーでくるんで、ハラハラと雪がちらつく舗道を歩いていった。
 アパートの玄関に入り、三階の屋根裏部屋へ息を切らしながら冷え切った階段を上っていった。
 彼の部屋は一番はじっこにあった。手書きの汚れたカードがドアの横に鋲で留められていた。

短篇作家
やや黒猫
ウレナイコフ







 彼は部屋の隅のベッドに毛布をかぶって寝ていた。
「なんだい、君か。ゴホ。どうしたんだい」
「ウン、最近見かけないんでちょっと気になってネ。具合が悪いみたいだね」
「ゴホゴホ。いや悪い風邪をひいちまったんだ。ありがたいことにその内肺炎にでもなって、オサラバさ」
「ちょうどよかった。熱いスープをつくったんだけど。よかったら」
「イヤ、構わんでくれ。オレはもう死ぬんだ。ゴホ」
「そんなこと言わないで、飲んでみたら」
「イヤ、放っといてくれないか。オレはこの世にオサラバしたくてしようがないんだから……」







「じゃあ、ここにおいとくから、お大事に」と言って、ボクは部屋を出た。







それからヤンは何回かスープを運んだ。
凍った雪道を、鍋をマフラーでくるみながら。







「どう? 具合は。だいぶいいの?」
 ムニャムニャ言いながら毛布から耳が二つ出た。そして、緑の目も二つ。
「オヤ、君か。構わないでくれ、オレはもう死んじゃうんだ」
「でもだいぶ毛のつやが良くなったと思うよ」
「イヤ、もうだめなんだ。きのう一日何も食べられなかったんだ」
「ちょうどよかった、これ余り物のスープだけど、よかったら」
「イヤ、放っといてくれないか、トットと行っちまいたいんだ、あの世にね。だあれも、オレの書いたモノなんて読みゃあしないんだ」
「そんなに弱気にならないで、とりあえずこれを食べてみたら?」
「いや、ちっとも弱気になんかなっちゃいないよ。オレは積極的に絶望と孤独の内に死にたいんだ、ただそれだけさ。だから構わんでくれ」
 毛布からのぞいた二つの目が薄暗い部屋の中できれいに光った。
 そして話をするたびにしっぽの先は元気よく左右に振れた。
「じゃあ、ここに置いとくからね。お大事に」
 緑の透き通った貴石のような二つの目が、一瞬、テーブルの上を見たような気がした。







それから十日ほどたったある日……

 市場に行く途中、いつものカフェに立ち寄り、トルキスタン潜入記の続きを読んでいると、ボクの前に彼が坐った。
「オヤ、君は何を読んでいたんだい? 何々、今度は中央アジア探検に出かけようっていうわけか。呑気でいいよ、全く、君は」
コーヒーを注文した彼は話を続けた。
「しかしだね、今度の死に損なった体験で、ようくわかったんだ」
「エ、何が?」
「ウン、つまりだね、この化け物みたいなでっかい街で、超絶的孤独の内に、誰にも見向きもされずに、虫ケラみたいに死ぬってことの絶望感だよ。そして、ボクの作品も紙くずになって捨てられちまうんだ」
「フゥーン」
「ただね、貴重な体験だったよ、本当に。そして、オレは考えた。この体験を手記にしよう、そして小説にしようとね」


さて、……




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