ボリス・コヴァーチとラダーバ・オルケストの2作目は、“時の終わりのバラード”
“ラスト・バルカン・タンゴ”と同じテーマ(主題)、同じテーマ(主旋律)で、
この世の最後の日の翌朝の茫然自失を描いてしまった。
この世の最後の日の次の朝、トランシルヴァニアの丘の朝靄の中、犬の遠吠え、
我々はまだ生きているのか?
世界はまだ在るのか?
思いは、世界の心臓の鼓動を象徴するイスタンブールから、故郷ドナウの岸辺に飛び、
親密で、無垢でみだらな記憶と思い出、
そして最後に、ゆっくりと鳥たちとともに飛び立つ。
“ラスト・バルカン・タンゴ”の絶望的熱狂は冷めて、
静かに沈潜した絶望は、より深くなったようにも感じられる。
「世界はまだ在る」けれど、
「我々はまだ生きている」けれど、
もはや、「過去も未来もない」。
幕間に聞こえる”犬の遠吠え”は、ニーチェの永遠回帰?
だとすれば、我々に為すすべは無い?
いや、ヤンの言うように
「全ては、繰り返すようで、決して繰り返すことはない」
‥‥‥「イスタンブールの占いウサギ」町田純より
コヴァーチたちも、鳥たちとともに飛び立った、
もう下を見ないで=「もう同じテーマでは作らない」と断言して。
だとすれば、このCDは、新たな世界への出発を告げるものでもある。
現在、コヴァーチは、
「ぬかるみとうるさく吠えたてる女たち(犬たち?)のほかは何もない‥‥」
と自ら歌っている、故郷ブコヴァツに戻っているそうだ。
ぬかるみと犬の遠吠えの中から、“何か”が現れる予感がする。
文学者は、音楽と映像に憧れ、それを文字で表現しようとする。
音楽家は、文学と映像に憧れ、それを音楽で表現しようとする。
これに成功したのは、ボリス・コヴァーチと、
そして多分、町田純。
Text by Mariko Machida 2003.12
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