パレスチナのラマラからアルカサバシアターがやって来た!
イスラエルによる占領が続いているヨルダン川西岸の町から、検問所をいくつ?、何時間?あるいは何日がかりで? 通過して、やって来てくれたのだろう。
来日してくれただけで、うれしい。そして、この公演を企画、実行してくれた人々に感謝。
舞台には、くしゃくしゃの新聞紙がいくつかの山になっている。
新聞紙の山の中から、ガサゴソ、俳優たちが登場して、舞台に並ぶ。
この瞬間、「この芝居はいいゾ!」と確信する。
俳優が皆いい顔をしている。
衣装がいい。着の身着のまま逃げ出してきたという姿で、みな裸足。
パジャマの上に襟のすり切れた上着、メガネの男。
アラブ風部屋着、少し腹の出た老人。
白いシャツに黒のベスト、小柄な男性。
柔らかな夜着にアラブ風の軽く美しいガウンを羽織った女性。
白いシャツにコットンパンツ、細身の黒いコートの男。
白いアラブの縁なし帽に、グレーのシャツのおじさん。
何気ない質素な普段着だけれど、コム・デ・ギャルソンを着たモデルたちよりも美しい。
さあ、芝居が始まる。
まずは、光あふれるパレスチナの田舎の道に連れて行かれる。
畑へ行く道。時々、へびに驚かされ、風がそよぎ、蝶が飛び、
子供たちの手は、タマネギとトマトの収穫のにおいがする。
しかし、子供たちが覚えた言葉は、
”本” ”彼らは我々を追い払った” ”ナパーム弾” ”人民” ”おなら” ”殉教者” ”彼らは我々を殺す” ”戦車” ”我らの地のすべての石を投げろ” …………そして、”ナクバ”
(*ナクバ=イスラエル建国によるパレスチナの大災難)
子供のバッグを抱えて、父親が独白する。
「なんだ、大好きなリンゴは一口かじっただけじゃないか。市場を通ったら『お父ちゃん、リンゴ買って』って、おまえは言った。それで、買ったのに………サンドウィチも残っている ……… もう、おまえに、リンゴもパンも買ってやることができない。」
子供は、イスラエル兵の撃った弾に当たって死んだ。
ブリキが大嫌いな男の話。
難民キャンプの掘っ立て小屋は、みんなブリキ製。父親のブリキ屋は大繁盛。
ナクバの象徴のブリキを嫌った息子は、ブリキから逃れたい。だが、どこに行ってもブリキが付纏う。ブリキ、ブリキ ……… 結局、ブリキ屋になった。
おじいさんの形見の下着と、さび付いた鍵束を入れて、方々連れ回された旅行鞄は、つらい流浪の旅に疲れ切って、安楽な旅行を夢見る。
ロンドンに住んでいる息子から電話。
「子供が生まれたって!おめでとう!名前は?マイク?何でそんな名に!?……こっちは大丈夫。心配しなくていい。兄さんか?元気だ。刑務所で、あと200年の刑だ。叔父さんは、3日前、銃弾が当たって死んだ。なに、よくあることだ。母さんは、部屋の隅で寝たきりで元気だ。いま、ミサイルが窓から入ってきた。大丈夫。母さんの上を通って、出て行った。」
大学に行きたい女学生と、病院に行かなければならない男性の会話。
「どうやって行けばいいの? 検問所は、イスラエルが封鎖している。」
「あちらの道は?」「イスラエルの戦車が居座っている。」
「向こうの谷はからは?」「入植地から撃たれるぞ。」
「そっちは?」「ダメ、壁ができてしまった。」
「私たち、今どこにいるの?」「東京!」
「じゃあ、何でもできる!南米経由で行く?」「ややこしいことになるゾ。」
「イラクからは?」「あそこは今、熱いゾ。」
「ペルシャ湾を渡るのはどう?」
「ケープタウンを通っては?」
劇団員自身の経験と、身近に見聞きしたことをもとに構成された19のエピソードが、演じられる。”ナクバ”から現在の”壁”まで、いや、もっと昔、鳥や虫の言葉を理解したというソロモン王の頃にまで遡って、パレスチナの歴史があぶり出される。
そして、その歴史を生きてきたパレスチナの人々の日常を生き生きと描き出す。
「死者4人、負傷者25人」といった新聞記事の数字ではなく、苦しみ、悲しみ、喜び、笑う人々として。
観客は、よく笑った。
この笑いを作り出したのは、パレスチナの人々の強さだ。
不正義を笑い飛ばす強さ。不条理をユーモアで生きぬく強さ。追放され、占領され、殺されても、決して屈しない強さとしなやかさ。
そして、私たちはいつもパレスチナの人々から、力と勇気を分けてもらう。
『こんなナマヌルイ国で、ちっぽけな絶望などしてはいられない!』
公演が終わって、彼らは無事ラマラに帰り着けただろうか?
東京から喜望峰を経てパレスチナまでにかかる時間よりも、イスラエルの検問所で待たされる時間や、壁を迂回して遠回りする時間の方が長かったということがないように願おう。まさか、帰還権、いや帰国権の拒否などということはないだろう。
Text by Mariko Machida
(2004. 2)
*科白等は、記憶によるもので正確な引用ではありません。
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