イスタンブールの占いウサギ
1920年12月の始め、ボクはガラタ塔の真下の、初めて訪れる者はなにかすさんだ雰囲気を感じるネコの額ほどの空き地で、低い石垣にすわってシミットを食べていた。
……
カモメはシミットを受けとると、ボソボソ食べ始めた。
「エエ、助かります。オヤ、カダイフだ」
「……手の上のカダイフを見つめていると、ウサギがもう来ないような気がした」
フイにこの小さな空地に口を開いた一本の路地から、数羽の七面鳥の隊列が黙って現れた。
ボクはガラタ塔を後にした。振り返ると塔の真下を七面鳥の一列縦隊が横切るところだった。
蒸気船の吐き出す黒煙はゆっくりとたなびいて、対岸のあの壮大なスレイマニエのモスクを隠してしまう。
カラキョイの大桟橋には巨大なギリシアの貨物船が横付けされ、クルド人らしい人夫達が小麦の袋を運び出していた。
橋を渡る路面電車と荷車の騒音の中で、一頭のロバが悲しそうに立ち往生していた。
ここで止まって、ボスフォラスに浮かぶ舟を数えていたんです」と橋の左側に寄って、ロバは指さした。いや、ヒズメで指し示した。
左手のイェニ・ジャーミーの石段では、香油売りが地方から出てきたらしい純朴そうな男に高い値をふっかけて懸命に売りつけようとしていた。
ボクが「エエ」という前にもうウサギはくしゃくしゃの紙に何か字を書き始めた。地べたに置いたインク壷に時々ペンをつけては、見たこともない文字を書き連ねていった。
すると、さっきから黙って横に立っていたロバが肩カバンの底から硬貨を一枚とり出して、「じゃあこれで」とかわりにウサギに渡してくれた。
「ワシはな、ペラ大通りのこっちの端に有名な菓子屋があるだろ、その近くの横丁で絨毯屋を経営しているんだがね。……」
……お茶の出前を終えて、空の真鍮製の吊り盆をブラ下げ、一人前にまっ白なウェイターの上着に小さな上半身を包んだ少年が現れた。
「……少年は別荘をボスフォラスの対岸、カンルジャの村に求めるであろう」
結局ボクは赤いフェズ帽を被って呼び込みを始めていた。
「サレップ、サレップ」とサレップ売りが携帯用の湯わかし器を背負って、十字路を横切っていった。あの温かくて甘いサレップを飲みたいなと思ったけれど、もうお金はなかった。
長い棒にドーナツ形のパンをたくさんひっかけて「シミット、シミット、シミット」と短く区切りながら早口で呼び声を出すシミット売りから早速一つ買うことにした。
占いウサギは飽きもせずチョバン・サラタスを注文し、ボクは気分を変えてメネメンを食べた。
マグネシウムの閃光はこの灰色の冬の街の手品だった。そして伸びきった蛇腹写真機の黒布に隠れた写真屋は魔術師のように見えた。
「……君は昔あったオスマン帝国銀行襲撃事件を知っているかな?ダシナキの一派がガラタにある帝国銀行を占拠したんだよ。もちろんアルメニア独立のプロパガンダのためだ。ん? 世界にアルメニア問題に目を向けさせようとしたんだろう。占拠した連中は当局と交渉してコンスタンチノープルから脱出したんだ。……」
「おとといの夜中に帆トルコ民族主義者のグループとダシナキの一味との間で銃撃戦があったんだ。……」
路面電車はにぶい灯りを点して、ゆっくりと霧の彼方に吸い込まれていった。
地下鉄の改札を通ってホームに立つと、にぶい音をたてて車輌がトンネルから顔を出した。この奇妙な乗り物はあっという間にコンスタンチノープルの歴史の下層から上層へとボクらを運び上げた。
とび出たペラ大通りの霧は薄かった。ボクはあまり大仰な店構えではなく、小じんまりした菓子店を見つけて、バラ水の入ったロクムを一袋ほど買った。
白ネコはロクムの袋を受け取ると大事そうに胸に抱えた。
ペラ大通りを過ぎ、メブラナのテッケを横に見て、……
人々はモスクの横の洗い場で、手、足、顔を清め、寺院の中へと入っていく。
方形のタイルの集合が大きなミヒラブを形作り、美しい花模様が描かれた壁面の前に黒い棒のようなモノが立っていた。この空間の暗さに慣れても、相変わらず不思議な物体だった。近づいてよく見ると、それはうつむいて立つ一羽のカラスだった。頭には上等なアストラカンの帽子をのせ、—カラスの頭に合わせて、細長いシルエットだった—手前には簡単な木の台、その上に丸められた紙がいくつ
もころがっていた。
……
「おみくじだがネ」
どなりたてる歌声とたいして音の出ない楽隊。調子はずれのラッパ。チューバ、トランペット、アコーディオン、クラリネット、そして酔っぱらったしわがれ声で歌う軍用のコートを羽織った男。手にはウォトカの壜。
いかにも上等そうな服をまとった二人は髭を鼻の下につけていた。若くて生意気そうで、そのくせ妙に落ち着き払っていた。
……
フランスのチョビ髯が気取った仕草で紙ダンゴをつまみ上げた。
植込みの前に椅子を置き、地べたに二枚の板を敷いた。その板の上にミヤマガラスが名づけた紙ダンゴを並べていった。椅子に腰かけた。占いウサギのように。なんだか居心地がひどく悪かった。
やるせない曲はどこから聞こえてくるのだろう。
人生の落日にカンルジャの別荘で食べる一杯のヨーグルトのために、少年は今日も仕事に励む。

今回の展示は写真が多くなりました。残念ながら、この物語の年代(1920.12~1921.1)より後の写真がほとんどです。前の年代の写真もいくつかあります。
著者町田純が実際に目にし撮影した光景や見ていた写真集などからの展示です。どのように物語が生まれっていたかを知る助けになれば、と思って敢えて展示しました。しかし、小さすぎて助けにはならないかな。すみません。 
                                                  Mariko Machida
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