〈7〉
 次の日は、コーカサスの谷間の村を経て、温泉保養地ピャチゴルスクへ。
 ピャチゴルスクには暗くなってから着いた。夕食後、ホテルの前にある公園に行ってみる。所々に街灯はついているが、大部分は暗闇に沈んでいる。入り口付近だけをぶらついて、ベンチに座った。8月なのに、夜は肌寒い。ベンチの後ろ、公園の外、通りを隔ててすぐ近くからピアノの音がはっきりと聞こえてくる。ジャズピアノ。上手い演奏だ。ロシアのピアノは乾いた硬質な響きがする。思いがけない賜物のような、ピアノの響きとの幸福な遭遇。演奏が終わった。思わず拍手。「ブラーヴォ!」 通りの向こうから「スパシーバ(ありがとう)」と応えてくれる。音楽の使い方が効果的な舞台を見ているような、そして、自分たち自身がその舞台の上のベンチに座っているような、そんな特別な一時だった。帝政時代からの保養地ピャチゴルスクには、軽やかなジャズピアノの音がよく似合った。
 
 公園を出て少し歩く。正面に円柱の並ぶ立派なアイスクリーム店の店内からオレンジ色の光が溢れだしている。車内を黄色っぽい光で満たした市電が走ってきて、待っていた人々を乗せて去っていった。異国の夜は、光の色も旅情を誘う。
夜の公園
アイスクリーム店
アイスクリーム店前に停車した市電
 翌日は、レールモントフの家博物館を見学。レールモントフの小説「現代の英雄」のペチョーリンが借りた住居は、ピャチゴルスクの高台にあって、部屋からは三方の眺めが素晴らしいとある。博物館は緩い坂道の途中にある平屋の民家で、そこからの眺めはなかったように記憶する。レールモントフの部屋は、窓に面して小ぶりの机が置かれ、その横、壁に沿って幅の狭い簡素なベッド、ベッドの先に洋服ダンス、そしてドアと、こぢんまりしていた。洋服ダンスの側面には軍服が掛けられている。ベッドの上にはサーベル、ベッド横の壁には絨毯が吊してある。ペチョーリンは伯爵令嬢メリーに対抗して、彼女の欲しがっていたペルシャ絨毯を高値で買ってしまう。コーカサスはペルシャとの交易路でもあった。そして、パラジャーノフの映画に出て来るような素晴らしいコーカサス絨毯やキリムの産地でもあるのだが、ここに吊してあったのはトルクメンの新しい絨毯だった。
 
 空港に向かってバスが出発する前に、吸い呑みを平たくしたような形の専用の陶製カップを買って、急いで温泉水を飲んだ。硫黄臭かった。
レールモントフの部屋
ピャチゴルスクの
温泉水用のカップ
〈8 〉に続く