10 そして、ヤンのシリーズとの関連は?
直接には「善良なネコ」のバザールの描写だ。この物語の舞台はロシアの北の町を思わせるが、バザールだけは何故か中央アジアの雰囲気がある。タイルの噴水、ポプラの葉を揺らす埃っぽい風と明るい日差し……。異国の香りを漂わせる高価な西トルキスタンの敷物を広げた店。西トルキスタンの敷物というのは中央アジアの絨毯やキリムのことだろう。この旅では残念ながら絨毯には出会わなかった。ヤンがそっと触ってみるアクセサリーは、この旅で買ったものもモデルになっている。トルクメンの伝統的デザインの紅玉髄のネックレスにブローチ、ドゥシャンベの銀のブレスレット。アクセサリーを売っているのはチャバンを着た中央アジアの人だった。露店に並ぶ陶器の中にも、この旅で出会ったような皿がある
善良なネコ」 バザールの風景
テッケの敷物の上の
トゥルクメンのアクセサリー
「小ネコちゃんて言ってみナ」の中の一篇、「死の床の記録」でヤンはヴァーンベーリの「トルキスタン潜入記」を読んでいるが、これはハンガリー人ヴァーンベーリが1860年代初めにイスタンブールからペルシャ、トルキスタン(中央アジア)、アフガニスタンを旅した中のトルキスタンの部分の記録だ。当時のトルキスタンはヨーロッパ人が立ち入るには危険な地域だったので、ヴァーンベーリはイスラム修道僧に変装しキャラバンの一員となって、ヒヴ、ブハラ、サマルカンドを訪れている。
この地に住んでいるトルクメン人はいくつかの部族に分かれていて、テッケと呼ばれる部族は勇猛果敢で恐れられていた。彼らと出会ったら、襲撃され、略奪され、奴隷に売り飛ばされたり殺害されるかもしれない。ヴァーンベーリの一行はテッケを避け、ヨムートと呼ばれる穏和で友好的な部族の住む地域を選んで進んでいる。
トルクメンは絨毯でも名高く、部族ごとに特徴的なデザインがある。テッケの絨毯は緻密なパーターンが連続していて、目の詰んだきっちりとした織りだ。一方、ヨムートの絨毯は優しく華やかなパターンで、織りも心持ち緩やかだ。ヴァーンベーリが記している部族の性格は絨毯にも表れているようだ。
「ヤンとシメの物語」で行商のミヤマガラスが広げた品物の中に絨毯の切れ端があったが、テッケの絨毯に見える。
しかし、ヴァーンベーリを読んだのも、トルクメン絨毯に出会ったのも、この旅行の後のことだ。
「トルキスタン潜入記」
を読むヤン
行商のミヤマガラスの広げた品物
テッケの絨毯 ヨムートの絨毯
11 エピローグ
ハバロフスクのディーマには、写真や中森明菜のカセットテープを送ったが、着いたのか着かなかったのか、返事はなかった。

5年経ったある日、突然電話がかかってきた。今、日本にいると言う。大喜びで次の日曜に浅草を案内することにした。知人の招待状で来日したが、今働いているクリーニング店の仕事はきついし、寮は寒いと言う。結局、我が家に居候することになってしまった。
ソ連の庶民青年はかなりデリーケートで、ラックスのシャンプーに感激して風呂に入ると2時間近く出て来ない。
そのうちメランコリーになったと言い出した。神田にロシア人女性がやっているロシア料理店があったので、行ってみたらと勧めた。久しぶりにロシア語を話せばメランコリーもなくなるかもしれない。早速出掛けて、アルバイトを決めて帰ってきた。メランコリーを感じる暇がなくなったのはいいが、今度は店内のたばこの煙で目が痛いと言う。目薬を渡したら、ソ連では目薬なんて見たことがない、使い方が分からないと言うので、長身の青年を椅子に座らせて目薬を注してやらねばならなかった。

1か月余して、他の知り合いのもとに身を寄せることになって去って行った。預かっていたボストンバッグには琥珀のネックレスがたくさん入っていたが、上手く売れて旅費の足しになったかな? 立派な琥珀だったけれど、日本人の体格には大粒すぎる。手のかかるお坊ちゃまだったけれど、語尾にアクセントを置いて”マリコウ”と呼ばれるのは良い気分だった。
純が私に呼びかける時は、”ねえ”とか”あのさぁ”。

中央アジアへの旅の記憶 目次 
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