もうひとつの辺境、バーべリ「オデッサ物語」(群像社)


そのむかし、東京渋谷にはロシア愛好家の隠れた巣、
幻の
カフェ、オデッサ・イスタンブールがありました。

今回は、その店主で、バーベリ(注)の「
オデッサ物語」(群像社刊)に惚れこんで、店に本を置いてくださっていた町田まり子さんが『オデッサ物語』、その魅力を語ります。
 
 
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カフェ・オデッサ・イスタンブールと
 バ―ベリ・オデッサ物語のささやかな関係

               
東京・渋谷に
オデッサ・イスタンブールという名のカフェを開いたのは、1993年。

なぜこんな名に? 
それは、ロシア革命の国内戦のさ中に オデッサから黒海を渡り、イスタンブールに亡命した ネコのヤンを店のキャラクターにしたから。
つまり、ロシアやトルコを、 黒海を中心とした 一つの文化圏として見る、という提案であり、それをカフェという空間で 楽しんでしまおうとしたわけだ。

では、なぜネコのヤン
? 
たまたま家にネコのヤンがいたからだけど、 ロシアなんて興味がないという人でも ネコにつられて入ってくるかも…という 密かな企てがあったのも事実。
ロシアの魅力、ロシアの文化の面白さを いくら声高に叫んでも、 振り向いてくれない人が、この国では大多数。
そんな人々の目をこちらに向けさせるために、
まずはネコの看板、 そしてカフェの空間が作り出す雰囲気。 インテリア、メニュ―、音楽、商品が一体となって、今までとは違った切り口から見る ロシア、トルコ。

暗い、古臭い、野暮ったいロシアというイメージを、 最先端の文化を紹介しながら覆すために、 たとえば、音楽の前衛 セルゲイ・クリョーヒンレオニード・ソイベルマンをBGMに使う。 すると不思議なことに、古いモノも新しい感覚で蘇ってくる。
彼らにはロシア民謡をべースにした曲もあって、それを聴いた後では、ロシア民謡も昔の歌声喫茶のものとは 違った響きで聞こえてくるし、
ヴェルチンスキー レシチェンコ のレトロな音もなかなか新鮮だ。
 
ちょうど、オクジャワの「シーポフの冒険」を 読んだあとでは、
トルストイ 像が変わると同時に、トルストイの小説も 白樺派的ではない読み方で読めるように。
また、
イリヤ・カバコフの作品を見た後では、陳腐な社会主義リアリズムの絵画でさえも キッチュな魅力を帯びてくるように。

でも当時は 今以上に入ってくる情報も品物も少なかった。
苦肉の策で、ロシア人の末裔が経営するパリの店から ロシアンブレンドの紅茶を取り寄せたり、 アメリカ在住のロシア人から ファベルジュ・エッグを模したペンダントを 仕入れたりしていた。

そしてある時、群像社から「
オデッサ物語」が刊行された。  
この面白さ、軽快さ、明るい哀しさ、 あるいはポグロムを描く 強烈な静謐さは、 長大で重厚という 従来のロシア文学のイメージとは全く違う。 おまけに「オデッサ…」のタイトルは店にピッタリ。

店に置きたいなと思い、恐る恐る問い合わせると、数日後、群像社の島田さんが 本を抱えていらしてくれた。
短い期間で大して売れはしなかったけれど、書店では買わないような人も買っていった。
 
感情表現を排した短い文から 躍り出てくるユダヤのギャング達。 心に固い哀しみを抱えながら、 彼らは陽気でパワフル。  
今「オデッサ物語」を読み返してみると、 これはまさにクストリッツァ監督の 「
アンダーグラウンド」 そして「白猫・黒猫」のジプシー・ギャングのノリ。 違うのは音楽だけかもしれない。
ジプシー・ギャングの背後に流れるのは
バルカン・ブラス。 ユダヤのギャングには、多分 オデッサ・ブルガーなどのクレズマー音楽。
 
頻出はしないけれど適切な比喩、 オデッサの街に降り注ぐ光。
比喩と光といえば、 同じオデッサの作家オレーシャがいるが、バーベリの比喩は オレーシャほど自由自在ではないかわりに、 短くて的確だ。
草の香りのする風と 昆虫の羽音に満ちたオレーシャの 透明に輝く光に対して、
モルダヴァンカのユダヤ人街に差すバーベリの陽光はイディッシュ語の響きと 日々の営みの音を包んでいる。
 
どちらの小説にも、 当時有名だったという 飛行家
ウトチキンが出てくるのだが、 別荘から自転車で走り出てきた
オレーシャの少年は、昼日中のカフェの前で彼に出会い、 一方、ダフ屋のバーベリの少年は 夕暮れの劇場の中にいるウトチキンを見かける。 ポーランド系ロシア人のオデッサと ユダヤ系ロシア人のオデッサの微妙な差異。

さて、「オデッサ物語」を販売したのが 短い期間だったと言ったのは、 道路拡張計画のため 1996 年に閉店を余儀なくされたから。

その後、ネコのヤンは、多分 ロシアの、どこかの町や、 ロシアを想わせる草原などを本の中で旅しているはず。  
著者(町田純)がロシア人でないので、 残念ながら群像社からは出版できなかった。
でも、カフェ・オデッサ・イスタンブールのヤンと同様に 本の中のヤンも、ロシア文学に関心はなかったけれど ネコにつられてハマッてしまった人々の間で、深く静かにロシアのイメージを変えつつあるようだ。
ロシアって、豊かで温かで深くて、 そして洒落ていて面白い、と気づき始めた人たちが、群像社の本を次々と手に取ることは 間違いない。

(東京都 町田まり子)

 ●バーベリの「オデッサ物語」の版元、群像社へのお問い合わせは、
        http://gunzosha.com/index.html

 ●カフェで流れていた ロシア音楽CD等に関するお問い合わせは
    
ゼアミ  http://homepage1.nifty.com/zeami/
    (電話047‐342‐9658)
    
オベリウ http://oberiu4.8m.com/
    (電話0543‐34‐2674)

 ●ユーリー・オレーシャ(1899〜1960) 
 オデッサ、モスクワを書いた自伝的回想「1行とて書かざる日なし」は
 そのロシア語の完璧な美しさで有名。他に「羨望」、短篇集「愛」(工藤正広訳 晶文社)がある。
 
 ●町田純さんの著書、ネコのヤン・シリーズは 未知谷より刊行。
 「ヤンとカワカマス」新刊「小ネコちゃんて言ってみナ」等。
 未知谷のホームページ http://www.michitani.com には 、町田純さんの ヤンの
 シリーズの本の紹介と在りし日のカフェの様子が 再現されています。
 また、町田まり子さんのカフェ、オリジナルレシピもごらんいただけます。

 
読者の声                     

 「オデッサ物語」という題名にひかれて買いました。
 オデッサで少し前の昔話をきいているような感じで、とても気に入りました。                                             (愛知県 男性)

「ロシア文学を読もう」6号に寄せられた読者の声

 応援しております。町田まり子さんの文章は とてもおもしろかったです。
                            (長野県 吉原深和子)

 いかにも魅力的な名前をもった カフェ「オデッサ・イスタンブール」の 存在を
 初めて知りました。それがすでに 閉店して
いるなんて、ぜひ行ってみたかったです。
                            (塚本 善也)

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