2010年、最後の年賀状

2010年の新年のご挨拶状です。町田純が最後に作った年賀状。
写真と2種類のスケッチの3つのヴァージョンがあります。

2009年10月15日、入院中の虎ノ門分院の中庭でのスケッチ。芝生とその上の枯葉。
上のスケッチと同じ日、同じ場所。医学の祖・ピポクラテスゆかりのコフ島から移植されたプラタナス。
天気が良く気分も良い時、町田純は、このプラタナスの側のベンチに座ってiPodで音楽を聴いていたりしたものでした。
私たちはこの木を見て、プラタナスがスズカケの木と呼ばれる訳を知りました。大きな丸い実が沢山、鈴のように枝にぶら下がるのです。
2010年2月2日、雪の朝。スケッチと同じプラタナス。誰かの足跡が続いていて戻っては来ない。
ヤンが向かったハシバミとセイヨウヤナギの池の絵(「ヤンとシメの物語」P.84)を思い出します。ヤンの戻る足跡は描かれていますが。

スズカケの木を眺めながら「善良なネコ」のヤンのように、投げやりなトルコマーチを口笛で吹ける時が来るだろうか……

撮影された(by Jun Machida)日付からみると、この写真ヴァージョンは年賀状の後に追加されたものでした。

「ヤンとシメの物語」より
ハシバミとセイヨウヤナギの立つ池
写真やスケッチの下には、詩が書かれています。

  ……………………
  そして林の奥から流れ出るニセアカシアの香りが狂気の病室を渦巻くとき、
  俺は衰弱したこの手でもぎ取った天人花のブーケを君に贈るだろう。
  それは遅い春、あるいは初夏、

  君はありとあらゆる言葉で礼を言うかも知れない。
  テシェキュール・エデリム、フィーレン・ダンケ、メルシ・ボークー、
  スパシーバ!……

  しかし俺は疾うに上の空。
  ヘイ、タクシ!
  スルタン・アフメット!
  オテル・アルバニア。
  そうだ!アルバニア・ホテルへ!
  急げ!そこの窓から、飛び発つんだ。

  別離の春が来る前に。
  畜生!春が来たら……

  Jun Machida

最初に入院した"野戦病院"関東中央病院には、世田谷通りに面してニセアカシヤが何本か植わっていて、花の季節、風に落とされた花房を拾い集めて病室に持って行きました。よい香りがしました。

*ゲーテの「君よ知るや南の国」の天人花と同じものなのか分かりませんが、ミルテの苗木を見つけて植えたら、大きく育って、白い花を咲かせます。

*ありがとうの羅列は、トルコ語、ドイツ語、フランス語そしてロシア語。

スルタンアフメット・ジャーミーは、ブルーのタイルが美しい別名ブルーモスク。イスタンブール旧市街のこのモスクのある地区の名がスルタンアフメット。

アルバニア・ホテルがイスタンブールにあるかどうかは不明。徳富蘆花がエルサレムからロシアのトルストイを訪ねる途中に泊まったロンドン・ホテルはまだあって、次はここに泊まろう、と言っていたのですが、実現できませんでした。
"hotel albania remix"というタイトルのCDを気に入って聴いていました。バルカンブラスも聞き飽きた頃でしたが、そのremix盤はちょっと洒落ていて新鮮でした。

Opa Cupa
Hotel Albania

(余計な解説 by Mariko Machida)

Top ネコのヤンと愉快な仲間たち 町田純の世界